山/伝統寺院

内院寺
内院寺
指定名
寺院
位置
桃馬2洞424-1 兜率山

女性会館の下、西大田女子高の左側に、忠州朴氏の斎室である永慕斎の前を通る覆蓋道路がある。永慕斎を過ぎ別れ道で左へ800mほど進むと、湧水のすぐ上に内院寺がある。内院寺は1928年に延徳華という菩薩によって建てられ、1965年に改築された。1978年に韓国仏教太古宗に登録され、大田で指定された四つの伝統寺院のうちの一つである。現在の住職は法伝・孫重植である。

お寺の後ろを囲む山は兜率山で、頭流峰とも呼ばれる。平地に東向きに建てられた大雄殿と、直ぐ前と横には独立した建物の寮舎がある。大雄殿の前の寮舎は住職室であり、右側の寮舎は台所を兼ね信者が使う。そのうち住職室として使用される前面4間、側面2間の建物は、現在の大雄殿以前には法堂として使用された建物である。現在の大雄殿の左側には朝鮮後期に作られた瓦片が散らばっているが、昔の寺の跡地と伝えられる。

大雄殿は合閣屋根に前面3間、側面2間で、お釈迦様を祀っており、裏の壁面に5点の幀画がかかっている。一番左の幀画は独聖の絵で、下の画記によると板岩洞にあった大徳寺から移されたという。その横に、神衆幀画、後仏幀画、七星幀画、山神幀画が順にかかっている。山神幀画以外は全て50数年前に描かれたという。

内院寺の入口には、96年の初秋に作られた凡鐘形の仏図が一幅ある。この寺に身を寄せていた弘根・全美子尼僧の仏図で、前面に「比丘尼弘根之塔」と刻んである。

壮泰山
壮泰山
寺院
西区壮安洞山67番地一帯
位置
路線番号230番(配車間隔:75分)
高速TM ⇒ 西大田交差点⇒桃馬交差点⇒佳水院交差点⇒黒石洞⇒壮泰山

壮泰山は、西区壮安洞と錦山郡、福寿面新垈里の境界にある安平山(470.2m)の隣にある山で、高さ186mの低い山である。

この壮泰山一帯は、大屯山から続く山並みが壮厳に美しく広がる中に村ができたため、壮安洞と呼ばれたと伝えられる。また、文禄・慶長の役の際に壮という人が乱を逃れ、将軍峰の下のベトゥル窟に隠れて3年間機織りをしながら暮らし、元壮安に家を建てて幸せに暮らしたというので壮安洞と名付けられたという伝説も伝わっている。

この天恵の自然景観によくマッチした壮泰山休養林は、1991年代になってから本格的に開発が始まり世に知られ出したため、太古の美しさをそのまま保っている。特に、ここには龍態鬱貯水池があり、自然の情緒が漂い休養林としてはこれ以上の場所はないというくらい景色がよい。壮泰山には上太山、中太山、下太山があり、それぞれの山には上仙鶴、中仙鶴、下仙鶴という谷がある。また、壮泰山をはじめ海苔山、兄弟山、安平山などにある谷間には、チルル、壮安、元壮安、上釜村、下釜村、土台村などという名前の村があり、昔から戦いが起こった際の避難所としても有名であった。

お問い合わせ : 壮泰山自然休養林管理事業所 T. 042-585-8061,2 F.042-585-8072

九峰山
九峰山
位置
西区関雎洞、黑石洞、槐谷洞一帯

標高264.1mの九峰山は、西区関雎洞、佳水院洞、槐谷洞、黒石洞、鳳谷洞に囲まれ長く広がりながら、九つの峰がそれぞれの美しさを誇っている。また、峰が秀麗な姿でそびえ、まるで屏風に描かれた東洋画を見るようである。

この九峰山は、九つの高い峰が突き出ているため九峰山と呼ばれているが、昔の与地図書には九鳳山と記録されている。つまり、鶏龍山の山並みが東南へ走り、鎮岑に突き出した九つの峰があるとして九峰山と呼ばれたというが、一説には、九羽の鳳凰の形をしているため九鳳山とも呼ばれたとも言われる。

礼服を着た大臣たちが腰を曲げながら新都内に入る姿をしているとして、群臣入朝形(臣下が朝廷に入る形)の明堂があったという伝説もある。

ともかく、九峰山は大田八景には欠かせない奇岩怪石の山で、特に秋の紅葉の風景はより一層すばらしい。

九峰山は標高264.1mの低い山であるが、仙人が山から降りてきて遊んだという伝説があるくらい景色が美しく、山並みの秀麗なところである。また、山の南には甲川が曲がりくねって流れ、切り立った崖があり、神秘な雰囲気がある。この山にはとりわけ山桜が多く、春には白い花が点々と森を彩り、その上に岩の峰が高くそびえ立ち実に美しい景色となっている。

このように景色がよく変わった岩の峰がつながっているため、九峰山は湖南高速道路や佳水院、鎮岑の一帯からよく見える。岩山がそびえ険しく登り難いように見えるが、意外に歩きやすい道ができていて、険しいとはいえそれ程登り難しくはない。

全羅北道鎮安郡朱川面の雲長山の九峰山も景色がよいので有名で、訪れる人が多い。九峰山という名の山の峰は九つだと思っている人も多いが、八角山や八峰山、八影山のように、八や九は数の多いことを意味する場合がよくある。この九峰山も大峠からビジェまで、大きな峰が九つあるようにも見えるが、曖昧な部分もある。本来、九峰山は美しく谷が深いため山にかかわるエピソードが多く、山祭りや部落祭りなどの民習が多く残されている。

安平山
安平山
指定名
位置
大田光域市西区壮安洞

大田市内から山直洞を過ぎ壯安洞に入る入り口に海抜314.5m山がある。これが兄弟山である。山の二つの峰がまるで兄弟のように立っているというので、兄弟峰と呼ばれたりもする。安平山は古くから詩人や墨客がよく訪れた名山で、錦山郡福寿面新垈里の境界にそびえる海抜470.2mの山である。

安平山のそばには海抜186mの壮泰山がある。壯泰山休養林の東南にあるこの山の頂上には、山の麓に豊かな休養林を造った林昌鳳氏が最近東屋を建て、壮泰山展望台と命名している。周辺の景色がすばらしく、登山にぴったりのところである。

この安平山の麓は多くの人が難を逃れ来て暮らせる所であるという意味の、「安平山下可活万人」という風水説がこの地域に広まっている。龍岩村の南東には、まるで在来式蜂巣の上にかぶせる藁の覆い(モンドク)のような峰が一つ見えるが、これを「モンドク峰」という。

壯安洞の西南の論山郡伐谷面晩木里の境界には、海抜360mの花火の形の山があるが、これは海苔山と呼ばれる。山の頂上付近には、高山地帯にもかかわらずいつも水の出る湿地があるという。しかし、昔からこの村には火事がよく起こるため、村人はその原因が「火」苔山の水が干上がったためであると信じていた。

そこで、頻繁な火災を予防するために火苔山の頂上に大きな壷を埋め、水を溜めてからその中に塩水を入れた小さなビンを一緒に入れておいた。そのため山は海苔山と呼ばれ、人々は毎年旧正月の十五夜に壷とビンの水を取り替えたという。

今は、この風習が途絶え、割れた壷とその中の塩水のビンがそのまま残っているという。また元壯安の西北側には将軍の兜と鎧のような山が見えるが、これを将軍峰という。将軍峰の下には、張氏がここに来て3年間機織りしながら暮らしたと伝わるベトゥル窟がある。

このような山に囲まれた場所に初めてできた村を元壮安、あるいは壮安、壮安里という。元壮安は八馬洞の南にある村で、そこを流れる壮安川の向こう岸の山の麓の農家には樹齢300年にもなる梨の木があり、壮安洞の梨の木と呼ばれる。この木の下には、昔路祭りを行なった跡が今でも残っている。

また、梨の木に行く前の道路わきに植えられ今は老木となったケヤキが一本、傾いて生えているが、これを壮安洞ケヤキという。元壮安の北の兄弟山の麓には新しくできた村があって、バリ洞と呼ばれるが、漢字では八馬洞と表記する。

昔、八頭の馬がこの村に福をバリバリ運んでくれたという伝説があり、この村は八頭の馬がおかゆを食べる形であるため、そして、村の東の貯水池から安平山に続く稜線が、八頭の馬が水を飲む形(八馬飲水形)をしているため、八馬洞と呼ばれたと言われている。

しかし、八頭の馬がおかゆを食べる形の土地は、龍態鬱貯水池ができたため水没してしまった。バリ洞の南東の高く長い谷の村は「キルル(長い谷間にある村)」と呼ばれたが、それが音便変化して「ジルル」となり、また漢字で「吉(キル)谷」と言われる。